「考える」子どもをどう育てるか

小学校の教頭だったころ、中学年の習字の授業を初めて担当したときのことです。授業開始直後、一人の児童が前にやってきて「先生、半紙を忘れてきました」と私に伝えるのです。それまで中学校の授業しか経験のなかった私は、何が言いたいのかよく分かりませんでした。しかも、半紙を忘れたという事実を報告したあと、その場(教卓のすぐ近く)にじっと立ったまま何も言わないのです。要は、「私はどうしたらいいんでしょう。先生、指示をしてください」というわけです。私は、その子にあえて「で、どうするの?」と(優しく)尋ねました。

すると、その子はすごく驚いた様子で困惑しているのです。その姿を見て、またびっくりしました。おそらく、その子は先生にそういう言い方をされたことがこれまでなかったのでしょう。これまでの先生なら、多少のお説教を聞かされた後、予備の半紙をもらうとか、今日は誰かに借りて明日借りた分を返しなさいといった具体的な指示を受けていたのだろうと思います。つまり、その子は忘れ物をしたときはこうするものだということをそれまでに学習していたので、自分のやるべきことはやったと思っていたのです。それだけでなく、黙って隠していることを考えたら自分はきちんと対応できたという満足感さえも持っていたのかもしれません。とにかく、長年中学生を相手にしてきた私にはその子の表情や態度にかなりの違和感を抱きました。もちろん、子どもには何の責任もありません。それまでの指導にその子は忠実に従っているだけです。

私が、しばらく授業でそういう対応を続けていると、子どもは「忘れ物をしたので〇〇君に借りることにしました」と言うようになりました。別に都度の報告はいらないよとは思いましたが、突っ立っているだけのことを思えば、忘れ物をした自分はどうすればいいかを自分で考えて、授業が始まる前に友だちに交渉して忘れ物を確保しているのですから、大きな進歩です。社会に出ても、大事な会議で筆記用具を忘れたり、資料の一部が抜けていたりすることはあるでしょう。そんなときに、途方に暮れているようでは会社から「使えない奴」と思われても仕方ありません。臨機応変な対応が求められるのです。

ちょっと内容は違いますが、最近、インターネットのニュースで宿題の功罪が問われるようになりました。全員に同じ宿題を一律に課すことは非効率的であるだけでなく、一人ひとりの子どもにとって本当に必要な学習になっているのかを問われているのです。最近では多くの子が学習塾に通っていますから、塾からも宿題が出されます。そうなると、子どもにとってはかなりの負担になるわけです。まあ、学習塾は家庭で行かせているのだから家庭の責任であると言えばそれまでです。でも、本当にこれが必要なの?と思わせるような宿題を出されると不満を持つ子が増えても仕方ありません。本来一人ひとりに合った内容と量を考えて宿題とした方が、効果的なのは明らかです。

ただ、実際に一人ひとりに違う課題を出すとなると先生は大変です。ただでさえ「超」がつくほど忙しいのに、個々の理解度に合わせた宿題を準備する時間など捻出できるはずはありません。それに、一人ひとり課される量が違えば子どもは「不公平だ」と不満を持つでしょう。個々にレベルの違う宿題を準備し、しかも量までほぼ同じにするなど現実的に不可能なことのように思えます。

しかし、一律に出される宿題に無駄が多いのも認めざるを得ません。例えば、10個の新出漢字を覚えさせようとして、一つ一つ書き方(止め方や、はらいなど)、漢字の意味などを説明した上で、「10個の漢字をすべて10回ずつノートに書いてきなさい」という宿題を出したとします。漢字の得意な子は、もう授業中にマスターしてしまっています。それなのに、家で100字書かなければなりません。逆に漢字が苦手な子は10回ずつ単純に書き写すだけで頭に入るかどうか怪しいものです。教育はもともと予測不可能なものだと言う人もいる(広田)くらいですから、どのような宿題を出しても(宿題を出す前に)その効果を図ることは不可能です。とはいえ、先生の多忙化などの問題がクリアできるのなら、一人ひとりに見合った宿題を出す方が、子どもの力を伸ばすには効果的であることは明らかです。となれば、いかに教員の負担を最低限にとどめ、効果的なアイデアがあれば実行しない手はないことになります。

ここに一冊の本があります。タイトルは『不親切教師のススメ』(さくら社)。著者は公立小学校教諭の松尾英明氏。2022年8月に出されたばかりの本ですが、インターネットを中心に話題になっているので、すでにお読みになった方もいるでしょう。これは、宿題の出し方だけでなく、真に子どもの主体性を伸ばすにはどうすればいいかについて書かれた本です。いわゆる「指示待ち人間」ではなく、自分でやるべきことを見つけて前向きに学習に取り組めるようにするためには、教師が懇切丁寧に指導をすることはかえって仇になるという指摘です。目次をざっと見ただけでも「「楽しい授業」をやめる」「習字の掲示をやめる」「「してあげる」をしない」など、非常に刺激的です。私も、かねてから学校の先生や保護者は「転ばぬ先の杖」を出し過ぎると感じていました。ちょっと考えれば、自分で解決できることなのに周囲の大人が「失敗」しないように「お膳立て」をすることで、できるはずのこともできなくなるだけでなく「何で先に行ってくれなかったの」と文句ばかりを言ったり、自分は何もせず、ふんぞり返って「次、何するの」と偉そうに聞いてくる子どもを育ててしまっている可能性もあるのです。

反論もあるでしょう。「不親切な指導」なんかしたら、ただでさえうるさいモンペから、さらにクレームがくるじゃないかという見方もあるでしょう。宿題をもっとたくさん出してくれないと子どもは遊んでばかりになって困るという保護者もいるでしょう。けれども、私たちは保護者のために授業をしているのではありません。子どものためにしているのです。もし、子どもが家で自分から宿題や勉強をするようになったら、保護者も何も言わなくなるはずです。

そんなうまい話があるものかと思われるでしょう。私もそう思っていました。けれども、『不親切教師のススメ』には実に簡単な方法で、教師の手間もかからず、しかも一人ひとり違う宿題が出せるアイデアが紹介されています。つまり、授業中に小テストを実施し、子どもに赤で「〇つけ」をさせる。宿題は、自分の間違った問題をもう一度やることとし、家では青で丸つけをさせる、という方法です。これなら、理解度に合わせた宿題となります。

授業中の取組として秀逸なものとしては、蓑手章吾氏が示した「自由進度学習」というシステムがあります(『自由進度学習のはじめかた』学陽書房、2022、初版は2021)。教員が教室の前で説明するのは最初の10分程度で、後は各自が自分で決めた「めあて」について自学し、最後に「振り返り」をさせるという授業形態です。教師の説明時間が少なくなれば、その分一人ひとりに直接助言する時間が増えます。教師の机間指導は忙しくなりますが、個々の理解度は非常によくわかるやり方です。最初はあえて「めあて」を低く設定する子がいます。すでにできることを「めあて」にすれば楽だからです。そうすれば「振り返り」で「完璧にできた」と報告できます。しかし、蓑手氏はそういう子に「残念だったね」と声をかけるそうです。そして、今度は、「ぎりぎり達成できない「めあて」」を設定するように指示するのです。十分な机間指導によって、個々の理解度はよくわかっているからこそできる指示です。ほとんどの子はしばらくすると「ちょうどいい」目標設定ができるようになると言います。低学年では難しいかもしれませんが、高学年ならどの学校でも十分に実践可能だと思います。また、一人一台のタブレットが配布された今なら、学習アプリを使えば一人ひとりにプリントを印刷して配布する必要もありません。

周知のとおり、これからの教育は一方的に伝えられる知識をできるだけたくさん記憶するだけでなく、自分で考え、自分で判断する力の育成が求められています。顕著な経済成長も望めず、終身雇用制もほぼ崩壊してしまった現代社会において、ただ受け入れるだけの姿勢では、社会の中で生き抜くことは困難です。ここに挙げた方法なら、受験用の学力を確保しながら、自ら自分を成長させることができます。

それでもなお、そんなことは特別な条件のもとでしかできないと思われる人がいるかもしれません。先に挙げた蓑手氏は千葉大学教育学部附属小学校勤務の経験があります。「ほら、やっぱり特別な人じゃないか」と思うかもしれません。確かに、大学の附属小学校は、一般の公立小学校とは環境は違うでしょう。しかし大切なのは、こういう取組を自分の学校にあてはめて、何かできることはないかと考えることだと思うのです。本に示された内容をそのまま真似をする必要はありません。それぞれの学校がそれぞれの特徴があるわけですから、そのまま取り入れても成功するとは限りません。だから、できることから始めればいいのです。一番良くないのは、「あれは特別だ」と考えて何も変えようとしないことです。

そして、最も大切なことは、授業のやり方にしても、宿題の出し方にしても安直にスキルだけを取り入れようとしないことです。そこに、本来の学校のあり方とは何かを考える視点、大げさに言えば、教育とは何かという「哲学」的なことを考えないで始めると、どこかで行き詰まると思います。「哲学」に照らして、自分の学校や学級には何が必要なのかを考え、子どもの何を伸ばそうとするのかくらいは明確にした後に、できることから始めることが大切だと思います。とりあえずやってみようという精神も捨てがたいものはありますが、長く定着させるには、保護者や同僚にしっかりと意義を説明できる「構え」は欠かせないと思います。

(作品No.177)

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