近年、不登校児童生徒が増えています。全国の国公私立小中学校で2021年度に30日以上欠席した不登校の児童生徒は24万4940人(文部科学省の問題行動・不登校調査)となり、過去最多となりました。コロナ禍の影響を差し引いたとしてもかなりの数です。
不登校の原因は必ずしも明確ではありません。文部科学省は、原因別のデータも公表していますが、そこに示された数字は各学校の判断を集計したものです。学校側の判断と不登校児童生徒の本音との間にズレがないかどうかの検証はなされていません。結局のところ根本的な原因は、はっきりしないというのが学校現場の実感ではないでしょうか。
原因が曖昧(当然、明確な場合もありますが)であるとすると、具体的な打開策を打ち出すのも難しいということになります。個々に異なる原因に対応するために学校ではスクールカウンセラー(SC)やスクールソーシャルワーカー(SSW)などが配置されて、大きな効果を上げています。しかしながら、SCやSSWへの相談件数は年々増える傾向にあり、SCの予定表はすぐにいっぱいになります。予約を取ろうとしても数週間後などということも珍しくありません。専門家の増員はすぐにできないでしょうから、学校は個別対応以外の方法も考える必要がある時期にきていると思います。
こうした状況の中で最も有効な打開策は、児童生徒にとって学校を「行きたい場所」にすることです。そこに「会いたい人(先生や友人など)」がいて、「やりたいこと」があれば、子どもは進んで学校に足を運ぶでしょう。しかしそれは、そんな簡単なことではありません。偉そうなことを書いている私も、これまで学校をすべての子どもにとって「行きたい場所」にしてきたなどとは決して言えません。これだけ価値観の多様化が進み、教員の多忙化が過労死レベルを超えている状況の中では、かなり困難なことだと言わざるを得ません。
でも、私たちに向かうべき方向を示唆してくれる、次のような指摘もあります。
「子供の楽しい成長のための第一の条件は、「幸福で、悩みのない、不安や心配を背負ってい ない、心の本質的な気分である。この気分を育て、守り、避けがたいあらゆる障害の後にこれを取りもどさせることが、教師にたいする最高の要請なのである。」1)(ボルノー)p60
「気分というものはけっして心の表面的なつまらないたわむれではなく、むしろそこから初めてあらゆる個々の仕事が生まれ、それらを持続的に一定のものに保つ土台である……」2)(ハイデッガー)
「気分」という言葉は「楽しい気分」、「悲しい気分」など、真逆の場面で使用可能であることからもわかるように、非常に曖昧さを含んでいます。そんな曖昧なもので何が解決できるのかと思いますが、ハイデッガーはすでに約100年前に、人間の最も根源的な部分は「気分」だと主張し、今も「実存哲学」として受け継がれています。私たちには学校全体に「楽しい気分」を広げ、一人でも多くの子どもをその「気分」に引き込んでいく工夫が求められているのだと思います。
「教育のすべて、とくに学校教育と施設の教育は、人生のまじめさを強調しすぎて、遊びをなおざりにする危険にさらされているので、このことはきわめて重要である。これらの教育はすぐに喜びのない、灰色の雰囲気を生みやすいし、勉強や一般に自分の活動へのすべての楽しみや愛を、子供からなくしてしまうのである。」3)(ボルノー)
ボルノーが指摘する「遊び」とは、「楽しい」と感じる「気分」に満たされている時間や空間によって支えられるものであり、休み時間だけでなく授業中や教職員との会話の中でも成立するものです。誤解を恐れずに言うなら、不登校の原因の多くは本質的な意味での「気分」にあるのではないかと思います。私たちは、個別の対応を専門家に頼りながらも、同時に子どもたちの希望にあふれた「気分」をいかに高揚させることができるかという難題に挑戦する姿勢を子どもに見せることが大切ではないかと思います。
1)O・F・ボルノー、浜田正秀訳(1996 初版1996)『ボルノー 人間学的に見た教育学』 玉川大学出版部、p60、下線は引用者による)
2)前掲、p60(ハイデッガーの1927年の著からボルノーが引用したもの)
3)前掲、p61
※ここに書いた考察は、不登校に関する重要な論点のほんの一部に過ぎません。不登校につい て今回書ききれなかった内容については、別の機会に述べたいと思います。