学校の外から学校を論じる人は、往々にして「教師が生徒との信頼関係を築いていれば、こんな起きなかったはずだ」という言い方をします。マスコミなどはその最たるものかもしれません。けれども、いつでもそんなことができる訳ではありません。例えば、4月に入学したばかりの生徒と初めて出会ったとき、信頼関係などあるはずがありません。それでも私たちは、決められたカリキュラムに沿って教育活動を展開しなければなりません。教育にとって信頼は最も大切なことではあるものの、生徒が教師の指示に従っているのは、それだけが理由ではなく、「教師という看板」が一定の威力を発揮しているからだと思います。看板にはこう書いてあります。「学校の先生の言うことは素直に聞くものです」。これは、社会全体の暗黙のルールのようなもので、大多数の生徒がこの看板に書いてあることを受け入れています。世の中はそういうものだと。私たちは、この暗黙のルールである「看板」を持たせてもらっています(最近この看板の文字が見えにくくなっている感もありますが)。そうでなければ、自分の力量だけでクラスをまとめているんだという錯覚や過信が生まれます。
新学期が始まって最初の3日間を「黄金の3日間」というそうです。この期間は子どもたちが先生の話を実に静かに集中して聴くと言われています。新しいクラスになって互いに牽制し合っていることもあるでしょう。どんな先生なのかを観察しているからかもしれません。でも、生徒が前を向いて座っているという、その事実を最初に成立させているのは「教師の看板」なのです。相手が「先生」だからこそ、生徒は話を聞こうとするのです。
恥ずかしい話ですが、私は初任のとき1年生のクラスを担任して完全に学級を崩壊させました。迎えた2年目。再度1年生を持つことになりました。その学級開きの日、私は感激のあまり泣きそうになりました。全ての生徒が椅子に座って前を向いるのです。それだけでなく、真剣に私の話を聞こうとしているのです。
それを見て思いました。この状態は何と有り難いことなんだ、と。そして、前年のクラスも最初はこんな感じだったはずだと。でも、前年私の頭にあったのは「新任だからといって生徒になめられてはいけない」という思いばかりでした。もしあのとき、この有り難さが少しでもわかっていれば、まずは、まっすぐに私を見ている子どもたちを褒め、いつまでも今の気持ちを忘れないようにしてほしいという話ができたのではないかと思うのです。(作品No-26H)