「寄り添う」の肝

一人ひとりの子どもに寄り添える教師になりたい、誰もがそう思っているでしょう。でも、さまざまな理由で、なかなか思うようにいかないものです。実際に子どもに「寄り添う」ためにはどんなことが大切になるのでしょうか。

 まず一つ目は、メタな視点を持つことです。「メタ認知」については、以前にも書きました。物事を「俯瞰」する視点は全体を見るために重要であるだけでなく、私たちの冷静な判断を促してくれます。目の前の子ども行動を表面的に見ていると「何度同じことを言わせるんだ」という気持ちにさせられます。しかし、(気持ちの上で)少し距離を置いて、この子の行動の背景には何があるんだろうと考える(これが俯瞰するということです)ことで、冷静にその子を見ることができます。それはその子をありのままに捉える視点でもあります。「俯瞰」しなければ「一部分」しか見えません。また、自分(教師)が正しいと思っていることをすぐに伝えずに、まず相手の話を聞く心の余裕も生まれます。

 この「俯瞰」は、その子が何を望んでいるのかに気づかせてくれることもあります。それがわかれば対応の仕方も自ずと見えてきます。同時に、子どもの変化にいち早く気づくこともできるようになります。

 他に大切なこととして、「さりげなさ」があります。「寄り添う」というと、いつもそばにいてじっくり話を聞くというイメージがあるかと思いますが、物理的な距離は必ずしも必須の条件ではないと思います。遠くから送られる教師からのアイコンタクトだけでも、救われる子はたくさんいます。私は、現役の教諭時代、担任した生徒が卒業するときに言ってくれたことを思い出します。その子は、真面目で極端に無口な子でしたが、家庭のことで深く悩んでいました。

「先生が、廊下なんかですれ違うときに、いつもほんのちょっと私の方を見て目で合図のようなものをくれたのが、とても嬉しかった」

「寄り添う」というのは、とても大切なことです、けれども、あまり大げさに考えすぎると、子どもにとっても負担になることもあります。また、教師の方が寄り添えていないという自己嫌悪に陥ってしまいかねません。

 最も重要なことは、たとえ相手が子どもであっても、対等な一人の人間として尊重しているかどうか、それが「寄り添うの肝」です。人間というのは不思議なもので、こちらが相手をどう思っているかは、自然に伝わることが多いものです。それは、数値で客観的に示せるようなものではありませんが、だれしも経験していることでしょう。自分が「児童・生徒」として見られているか、「人」として見られているか、子どもは敏感に感じ取っています。そのセンサーの精度は、教師から見て「問題」の多いとされる子ほど高くなります。

「一人ひとりがちゃんと自立して、両足が大地に着いた状態で両隣の子どもたち、仲間と手を取り合う。つぶあん状態。(中略)僕はつぶあんが好きなのよ。口に入れたとき、つぶつぶが口にあたるの。あれが個性を主張しているようで、愛おしくなる。こしあんもおいしいんですが、つぶれちゃってるでしょう。」1)

「尾木ママ」こと尾木直樹氏2)の言葉です。

対等な「人」として子どもを見るということは、その子の個性を尊重するということでもあります。そして「寄り添う」とは、「あなたのことを大切に考えていますよ」というメッセージを届けることです。ちゃんと届いているかどうかは、子どもにしかわかりません。でも、届けようとする姿勢は必ず伝わると私は信じています。

1)「〈ミニ講演〉「個」に寄り添う教育」法政大学教職課程センター長(当時)2013年。

2)尾木直樹:早稲田大学大学院客員教授、法政大学キャリアデザイン学部教授、法政大学教職課程センター長・教授などを経て、2017年4月から法政大学特任教授。2019年から法政大学名誉教授。これまでに200冊を超える著書を上梓。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

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