ちょっとびっくりしました。昨日、岸田総理が答弁で「子どもを真ん中に・・・」という言葉を使ったのをテレビで見たからです。このブログは「こどまん通信」。「こどまん」は、子どもを真ん中に、の略です。光栄だと感じればいいのか微妙なところですが。
私の勉強不足だとは思うのですが、どうも「子ども家庭庁」の中身が今一つよくわかりません。各省に分かれていたものを一つに総合して司令塔を一元化することによって、施策の実行が迅速に行われることにつなげようという主旨なのかとは思うのですが、スッキリしない点もあります。
例えば、幼稚園はこれまでどおり文科省の管轄に残るそうです。幼保の連携を考えれば思い切ってどちらかで一つにする方がいいような気がします。
でも、期待することもあります。それは児童虐待への対応です。児童虐待は、保護者の意識や倫理の問題だとされることが多いのですが、じつはそうとは言い切れません。児童精神科医で臨床心理学者の滝川一廣氏は、虐待の問題について次のように述べています。
「たまたま幸運に恵まれた我々が、恵まれなかった親たちの失敗を一方的に「虐待」と名づけて糾弾するのは果たしてこころあることなのか」
「そもそも子育ての不調を相談すれば直ちに「虐待通告」をする(しなければならない)専門家のドアを困っている親たちが叩くだろうか。」
そして、滝川氏は生後最初の二年間に虐待死や虐待が集中していることをふまえ、「0歳~一歳の育児を社会がしっかりと護ることさえできれば、<虐待死>ひいては<虐待>は激減する」として「子どもを本当に護りたければ、何よりも「育児を護る」、すなわち「育児に取り組む親を護る」ことこそ真っ先にしなければならない」と主張しています。国は2000年「児童虐待の防止等に関する法律」を制定し通告の義務を明確化(このとき社会福祉法も改正された)、その後2020年4月に改正し、親の虐待行為を体罰とすることで歯止めをかけようとしてきました。いじめの定義を広いものに変更してきたのと同様に、虐待の早期発見を確実に行うために、問題を拾う「網」を広く細かくしてきたのです。それはそれで間違っているとは言えません。しかし、滝川氏の言うように、虐待は必ずしも親の無責任や倫理観の乏しさから生じるとは限りません。経済格差がすすみ、貧困家庭が増加していることを考えると、まず必要なのは福祉を充実させて本当に困っている親を支える制度を確立することでしょう。早期発見は重要ですが、根本の原因をなくす施策を展開しなければ通告数は増えても、本当に困っている人がその膨大な数の中に埋もれてしまうかもしれません。
また、通告を受ける専門機関(子ども家庭センターなど)もその通告数の多さゆえに十分な対応ができなくなります。実際、多くの専門機関はすでにパンク状態になっており、学校が早期に発見して通告しても「まずは市町の児童福祉に相談してください」など、いわゆる「門前払い」とせざるを得ないことが多くなりました。
こういう実態を考えたとき、今回の「子ども家庭庁」には、虐待を早期に発見するだけでなく福祉の面での十分な支援策を講じてほしいと思います。再び滝川氏の言葉を借りれば、「「児童虐待」という否定的概念とそれに基づく摘発型の対策」が「問題解決の足枷」になっている面は否定できません。また、福祉領域において「障害」の「害」を問題にする視点があるのなら、虐待の「虐」も表現を変えて「育児困難」や「子育て不安」として捉えることが必要だという滝川氏の見解は、実に的を射ていると思います。
「子どもを真ん中に」という言葉を首相が使ってくれたのはありがたいことです。だからこそ本当に子どもが真ん中に置かれる社会をつくるために、実態に即した施策を打ち出してほしと願ってやみません。(作品No.135RB)
(参考・引用文献)滝川一廣「基調論文<虐待死>をどう考えるか」『子ども虐待を考えるために知っておくべきこと』日本評論社こころの科学2020年10月1日発行、pp2-29)