令和4年5月2日NHKクローズアップ現代で、アスリートのメンタルの問題を取り上げていました。入院経験のある私にとっては非常に興味のある内容でした。萩野公介さんや鈴木明子さんといったトップアスリートといわれた方々が、不当な誹謗中傷によっていかに苦しい思いをされたかが実によく伝わってきました。
私が何よりも注目したのは、番組中の国際大学の山口真一准教授のコメントです。それは、山口准教授が、批判や誹謗中傷する側の心理について、「俺の中ではこういう決まりがある、こうであるべきだという個人の価値観の強要」1)があるとして、それを「『俺理論』」1)と呼んでいるというくだりです。そして、「本人は悪意がないんです。だから『自分は正しいことを言っている』と思っていることが誹謗中傷の実態でして、『自分が正しい』と思っているからこそ厄介なんです」1)と続けられました。
これを聴いて私は耳が痛い思いをしました。自分が若いときの生徒(生活)指導は、まさに「ダメなものはダメだ」という「正論」ありきでの指導だったのではないかと思ったからです。悪意を感じるSNS等での誹謗中傷と、生徒(生活)指導を同じ土俵で論じるのは極端に過ぎるかもしれませんが、「自分が正しい」と思っていることを相手に押し付けるという点では同じ根を持っているような気がします。そして、考えました。私は「指導」する目の前の生徒が私に思いを伝える機会を十分に与えていただろうかと。私も山口氏の言う通り、悪意は全くありませんでした。むしろ、その生徒に正しい考えを持ってもらおうという「善意」で「指導」をしていました。「正論」はたいていの場合こうした「善意」に支えられています。しかし、ことさらに「正論」を持ち出すことは一つ間違うと相手をねじ伏せてしまいます。なぜなら「正論」を言われた生徒は十分に考ええる余裕もなく「自分はだめな人間なんだ」と思い込んでしまい、何も言えなくなってしまう可能性があるからです。「善意ほどやっかいなものはない」2)と言われる所以です。
そういえば30年以上前、初めて不登校の生徒を担任したとき、一番対応に困ったのが保護者でもなく本人でもなく、近所に住む「世話焼き」タイプのお年寄りでした。あるとき家庭訪問をするためにその生徒の家の近くを歩いていたとき、一人のご老人がすっと近寄ってきて「〇〇さんのところの息子は学校に行ってないと聞いてね。私が、親御さんにこんこんと話しておきましたよ」と得意げに話されたことがありました。そのご老人には、多少の功名心のようなものはあったかもしれませんが、悪意はなかったと思います。しかし、その後当事者の母親が地域でいづらくなってしまったのです。
良かれと思って行ったことでも逆の受け止め方をされることがあります。アスリートに対する誹謗中傷は、「正論」を装ってその実悪意に溢れているということもあるでしょう。決して教師の「正論」や「善意」と同等に扱うことはできません。けれども、私たちが本当に生徒の成長を願うのならば、最初から「正論」を振りかざすことだけは避けたいところです。そして、私たちの用いる「正論」が生徒の将来のどこにつながるものなのか、根拠のない「俺理論」となっていないか、常に確認する習慣を身に付けることは必要だと思います。
(作品No.100RB)
1)「日本選手への「誹謗中傷」と「過度な批判」ツイート、東京・北京オリンピック中に計「2200件」(NHKクロ現調査)」5/2(月) 8:00配信 ハフポスト日本版
2) 「不登校新聞」479号2018/4/1不登校50年「善意ほどやっかい 精神科医・高岡健さん【不登校50年/公開】」https://futoko.publishers.fm/article/17646/