学校評価は、平成19年6月に学校教育法を改正に伴って導入されました。文部科学省は、この学校評価の目的として挙げた3つのポイントの一つに、「各学校が保護者や地域住民等に対し、適切に説明責任を果たし、その理解と協力を得る」1)ことを挙げています。
「説明責任」というと、どうしても「事後」の対応を思い浮かべます。たとえば、いじめの重大事案が発生したとき、それに対して、いつどのように対応したか、普段から子どもへのアンケートを定期的に実施していたか、実施していたのならその内容に関してどのように対応をしていたか、などの説明はすべて「事後」に行われます。
当然、説明をしっかりするためには普段の取組や平素の記録を詳細に残しておくなど、「事」が起こる前の準備は欠かすことはできません。学校は、重大な事案が発生すると大きなダメージを受けます。そのダメージを少しでも減らすために、いつでも説明できるようにしておく視点は非常に重要です。しかし、そうした準備は、ほとんどの場合「事後」の対応を円滑にするために行われます。
しかし、どんなに正確に記録を残していても、どんなに誠実に対応したとしても、いじめの被害者はなかなか納得してくれません。そこには、何かが足りないものがあるのです。それは、すべてが「事後」に行われるものだからです。前もって言えば「説明」ですが、後になればいくら言っても「言い訳」とされてしまうのです。
ちょうど学校評価が導入されたとき、私は指導主事として、学校評価の出前講座を担当していました。まだ、学校が学校評価の具体的な在り方を模索していた時期です。県内各地に行くことになったのですが、この制度そのものへの不満もまだ根強く残っていましたので、不安だった私は、近隣の大学の専門家の講義を受けて、学校評価について助言をいただきました。講師先生のお話の中で印象的だったのは、次のような指摘でした。
「学校は評価というと、ついマイナスをゼロにしようとを考えるけれど、もともとその学校が持っている「強味」(プラス面)をグレードアップすると考えた方が前向きになれると思いますよ。不思議なことにプラス面が伸びてくれば、自然にマイナス面が減っていくものなのです。そもそもその方が夢があっていいじゃないですか。」
なるほどと思いました。
それから私は、学校にとって「説明責任」とは夢や理想を語ることだと思うようになりました。それは「事」が起きる前だからこそ意味があります。4月の最初に子どもたちに出会ったときや保護者の前で最初に話をするときに、この学校(学級)をいいものにしたいという、教員の思いを事前に語っておくことが「説明責任」の原点なのです。
そう考えたとき、どの学校でも作成し、多くの学校でホームページで閲覧可能にしている「いじめ対応マニュアル」が大きな意味を持ちます。そこには、学校の方針に始まり、どんな生徒を育てたいかという理想像が描かれ、具体的な対応のフローチャートなどが示されています。中には、いじめ早期発見のチェックリストまでつけられているところもあります。
自分が管理職だったときに、学校だよりなどでもっと積極的に保護者にアピールすべきだったと、いまさらながら思います。
また、こうしたマニュアルの元になった「いじめ防止対策推進法」(平成25年制定)の第九条には(保護者の責務等)として以下のような記述があります。
「保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、その保護する児童等がいじめを行うことのないよう、当該児童等に対し、規範意識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努めるものとする。」
このことも保護者には十分に理解してほしいところです。でも、これも後出しでは責任回避として受け取られてしまうでしょう。
いじめ防止マニュアルを活用すれば、すべてがうまくいくとは言いませんが、深刻な問題が起こって、それに対応しようとするとき、最初に語った夢や目標、そしてそれを実現するための具体的な方策(早期発見を含む)まで書かれているのですから、「説明責任」を果たす上で、これほど有用なものはないと思います。
理想を事前に周知しておくことで、「事後」の説明が生きてきます。なぜなら、その「説明」が後出しの「言い訳」ではなくなるからです。
こうしたことにより、いじめだけでなく、実際に行われた指導にどんな意味があったのかを「事」が起こった後でも納得してもらいやすい風土がつくれると思うのです。
(作品No.197RB)
1) 平成22年10月25日 中央教育審議会答申初等中等教育分科会資料より抜粋(下線は引用者による)