「ね」と「か」

コンビニで煙草を買う。レジの後ろにあるたばこには、番号が付されていて「〇番の煙草をください」と言うと、その番号のところから煙草をとってくれます。そこまでは、何の違和感もありません。ところが店員の中にはこういう人がいます。「これでよろしいですね」。語尾が「ね」なのです。この「ね」は、相手に確認を求める「ね」です。文法的に間違っているわけではありません。でも、何か違和感があります。どこか「上から目線」な感じがします。それは、本当に間違いないですよね、あなたがそう言ったんだから「ね」。

たいしたことではないとは思うから、文句も言わず「はい」と答えてその煙草をもらいますが、「これでよろしいですか」と語尾を「か」にしてもらうと気分は全く違うのにと思います。それは、同じ確認でも疑問の形で聞かれるだけで、こちらの意見を聞こうと言う姿勢が伝わってくるからです。この場合の「ね」は、答えを強要される圧迫感があります。たかだかひらがな一文字のことですが、相手が抱くイメージは大きく変わります。(店員の方は、「ね」を使うことで丁寧に話しているつもりなのだとは思いますが・・・)

この「ね」は、相手のミスや言い間違えを指摘したり、その間違いを攻撃したりするときにも使われます。「あなたは前にこう言いましたよね。あれはウソだったんですか」というときの「ね」。(ただし、「ね」は使い方によってとても温かい響きを持ちます。「よくがんばったね」の「ね」、「元気でね」の「ね」など)

かく言う私も教諭時代,、なかなか約束を守れない子どもを前にして、つい「何度言ったらわかるんだ」と怒気を込めて叱ってしまったことが何度もあります。そんなとき子どもは、こちらの怒りの前に完全に萎縮し、何も言えなくなって固まっていました。卒業して何年も経ってから「実はあのときちゃんとした理由があったんです」と、その子から聞かされたことも数知れず・・・。情けない話です。

他に相手に不快な感じを持たせてしまう例として。電話対応での「うん」があります。相手が親しい人ならいいですが、そうでなければかなり「ぞんざい」な言い方に聞こえます。まさに目線が「上から」です。以前、勤務していた学校で苦情の電話に対しても「うん」を使う人がいました。これは、冒頭の「ね」よりはるかに罪が重い。「はい」と相槌を打てば相手は何とも思わないのに「うん、うん」と言えば、相手は「何て偉そうな対応をするんだ」と逆上することになりかねません。こういう対応をする人に注意をしたら「癖ですから仕方ないです」と言われたことがありました。その時点でアウトです。自分の癖なら相手が不快に思おうと関係ないという、その姿勢が相手を怒らせるのです。「ね」も「うん」も程度こそ違え相手に対して「高圧的」であるという意味では同じです。

今、学校には子どもたちに「寄り添う」姿勢が求められています。社会の多様化が進み、これまで拠り所となっていた規範(当たり前と思われていたこと)が崩れていく中、多くの子どもたちが何を拠り所にすればいいのかわからなくて悩んでいます。彼らに残された唯一の拠り所は自分に寄り添ってくれる誰かです。

「超」がつくほど忙しくなった学校で、子どもたち一人ひとりに「寄り添う」のは簡単なことではありません。でも、語尾を一文字変えるくらいなら、ほんの一瞬です。こうした「一瞬」に込められた教師の思いは、子どもたちに「寄り添っているよ」というメッセージとして必ず伝わります。それが子どもたちの「安心感」につながり、ひいてはいじめなどの問題発生に歯止めをかける力にもなると思うのです。(作品No.12HB)

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