アメリカのことわざに、「きしむ車輪は油をさしてもらえる」(The squeaky wheel gets the grease.)というのがあるそうです。意味は、困ったことを自ら発信すれば(言葉にすれば)話を聞いてもらえて、助けてもらうことができるという意味です。いかにも自己主張が重要視されるアメリカらしいことわざです。
さて、日本の学校に視線を移したとき、自分の「車輪」がきしんでいてもなかなか言葉にできない子どもが増えているように感じます。特に小学校高学年や中学生くらいになると、いじめられていても、声に出せばさらに事態が悪くなることを恐れて口を閉ざしてしまうことも少なくありません。それが積もり積もると、学校に来づらくなってしまうこともあるでしょう。深刻なケースでは、自分の部屋にかけてある制服を見るだけで体が硬直してしまう子もいるそうです。
なぜ、そこまで本音が言えない子がいるのか。そこには、複雑な要因が絡み合っていて簡単に説明できるものではありませんが、恐らくそうした子たちは、自分の「きしみ」を周囲の大人は十分に受け止めてくれないと感じているのではないかと思います。自分の苦しみを吐き出すためには、「苦しみを受け止めてくれる」という信頼が必要です。
学校という場に限定すれば、最も身近な大人は教員です。「信頼」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、要は「話しやすい」雰囲気を醸し出せているかどうかということです。人と人が全面的に信頼し合える関係になるにはかなりの時間がかかります。でも、信頼のもとになる「話しやすさ」なら、明日からでも表に出すことはできます。
そんなに難しく考えることではありません。以前、このコラムでも少し触れましたかもしれませんが、教員である自分に「子どもを丁寧に扱っているか」と問いかけるだけでいいのです。名前を呼びすてにしていないか、緊急事態以外に大声を出してはいないか、軽はずみに体を近づけたり触ったりしていないか(パーソナルスペースを守っているか)、プリントを渡す時に投げつけるようにしていないか、また、受け取るときに生徒の顔を見ているか、他のことをしながら子どもの話を聞いていないかなど、ちょっとした自分の所作を積み重ねればいいのです。その積み重ねは「信頼貯金」1)として子どもの心に貯まっていきます。
分刻みでやることが山積みの中で、そんなこといつもできるとは限らないと思うかもしれません。でも、私たちが意識していることは必ず子どもには伝わるものです。教師も人間ですから、いつも完ぺきであることなどできません。でも、何とか自分を変えようとする姿勢さえ伝われば、必ず子どもは私たちに自ら大切なことを話し始めるに違いありません。
子どもには「きしむ車輪」でいてほしいと思います。そのために私たちにできることは、自分の最も尊敬する人に接するときと同じように、子どもに接することだと思います。そうすれば所作は自然に丁寧になり、子どもの反応が変わり、それを見てさらに子どもを大切に思う気持ちが私たちの中に育っていくと思うのです。
1)「信頼貯金」:「この大人は自分を理解してくれる大人かもしれないという信頼の期待値。信頼貯金が貯まっていない生徒が自己開示することはなく、逆に貯まっていれば聞かなくても話してくれる」(居場所カフェ立ち上げプロジェクト編(2019年)『学校に居場所カフェをつくろう!』明石書店、p13脚注)